「俺を買いませんか」
そう言って俺の服の袖を掴んだガキは、色気もなにもないみすぼらしい姿で俺を見上げた。
その姿が昔の自分とダブって見えて、妙に懐かしさが湧いた。
まぁ、こういう事も経験だろう。
何を思ったのか、俺はそいつの言葉に乗ることにした。
慣れない様子で視線をあちこちへ飛ばすそのガキの肩に手を置き、話しかけてみる。
「おう、買ってやるよ。お前、幾らだ」
「……10ペソ」
「ふぅん。……20ペソ出してやる。ついてこい」
「えっ!……う、わ、わかりました」
10ペソ……、一日をなんとか凌げる値段だろうか。
そんな安い金で買うなんて男が廃る。
けど、そんなに手持ちがあるわけでもないので、とりあえず倍出すと言って、後ろを歩くよう指示した。
戸惑いを隠せないのか、不思議そうに俺を見つめたあと、なんとかついていこうと足早に歩いている。
俺はとりあえず、適当なスーパーに入ってカゴの中に適当に食材を入れた。
ついてきたガキはさらに戸惑いを見せ、不安そうに俺の服を掴んだ。
まさか、取って食われるとでも思ったのだろうか?
「心配すんな、ちゃんとやることはやるよ」
「……なら、いいけど」
相手が求めてるであろう答えを与えてやれば、安堵しながらも、不安そうに袖を掴んだまま、俺の後ろを足早についていく。
いやまぁ、俺はガキにも男にも興味はないんだが。まぁ、いいか。
レジに並んで支払いを終えれば、荷物を袋に詰めて再び町中を歩く。
俺の住んでるアパートは比較的治安がいいところだからか、何処か安心したように後ろをついて歩いてやがる。
部屋に到着して荷物を置けば、まず俺はガキに指示をする。
「先、風呂に入れ。俺は薄汚れたガキには興味ねぇんだよ」
ガキと言われたことに不満そうにしていたが、金をもらうためと割り切ってか、渋々シャワールームへと向かった。
俺はその間に食事を作る。
といっても、料理が得意ってわけでもないので、最低限そこそこ見れるものになるように、と作るだけだ。
勿論ガキに施そうってわけじゃない。
自分が腹が減ったからそのついで、ただそれだけだ。
ガキがシャワーから引き上げてくる頃にはなんとか作り終えることができた。
机の上に並んだ食事を見て、濡れた髪のまま戻ってきたガキは、また戸惑った様子で俺の顔を見た。
「おい、髪の毛ぐらい拭いてこい!タオルあったろうが」
「使っていいか、わかんなかったし」
「いいんだよ。……たく、座れ。拭いてやる」
「えっ……」
ガキは流石におかしいと思ったのか、後ずさって距離を取り出した。
面倒くさいガキは嫌いなんだよな。……まぁ、しゃあないか。
「痩せっぽちのガキなんて抱く気にもならねぇし、なんならこれ食ってもらったら帰ってもらいたいぐらいなんだがなぁ」
「な……!ふ、ふざけるな!同情のつもりか……!」
「同情もしてないし、哀れんでもねぇよ。ただお前がみすぼらしすぎて不愉快だったからだよ。オラ、さっさと座れ!」
ガキをとっ捕まえて、乱暴に髪を拭いてやる。
そうしたら、ガキはやーめーろ!とジタバタ暴れたが、そのうち疲れたのか大人しくなった。
髪をある程度拭いて乾かしたあと、椅子に座らせ、スプーンを握らせる。
「ほら食えよ。まぁ、味は保証しねぇけど」
「……やっぱ同情してるんだろ。馬鹿にすんな!」
「だからしてねぇよ。ガキがびゃーびゃーうるせぇな」
「ガキじゃない!エスパダスだ!リカルド・エスパダス!」
ガキ……おっと、エスパダスは文句を垂れつつ食事に手を付けた。
最初は恐る恐るだった手付きも、次第にしっかりとしたものに変わっていく。
ポソレが美味かったらしく、さり気なくおかわりを要求してきやがった。
図々しいやつだな。……まぁ、それぐらいじゃなきゃ可愛げはないが。
満足するほど食ったのか、表情を少し綻ばせて俺の顔を見た。
「美味かったか?なかなかブサイクな顔してるぞ」
「べ、べつに!普通だったし!……まぁでも、お腹いっぱいはなった」
「口の減らないガキだなぁ」
満更でもなさそうなくせして、素直じゃないな。
俺と全くおんなじじゃねぇか。
でも、悪くねぇ。逞しく育っていける、そんな生意気さがこいつにはある。
タコスを齧りながらそう考えていたが、エスパダスの表情は再び暗くなった。
「……俺、こんなことはじめてなんだ。あんたに声かけたのも、金持ってそうだからだし。」
「まぁ、俺は売れっ子のサッカー選手だしなぁ」
「そうなのか!?アンタが!?」
「そーだよ、これでも有名……になる予定」
「予定かよ!」
う、うるせぇよ。俺は売れっ子なんだよ。
まだまだ無名かもしれねぇが、今後は売れる。なんなら世界に轟くレベルになるんだよ。
……まぁ、ムキになる必要もない。とりあえず話題を変えてみる。
「とにかく、今後はやめときな。お前じゃ稼げねぇよ、そんなんじゃ」
「う…………」
説教のつもりはないが、コイツには身売りなんて向いてない。
それは素人の俺でもわかった。
悔しそうに唇をかみしめて俯くエスパダスに対して俺は軽く指差した。
「お前、負けず嫌いならサッカーをやれ」
「……え?」
「サッカーなら稼げるし、何より負けず嫌いにはうってつけの商売だぜ?」
「でも、俺、やったことないし……」
「バーカ、サッカーなんてのはな、どこでも!誰とでも!できるんだよ。これから覚えてさっさとプロになっちまえ」
んで、俺がやる20ペソ返しに来い。
悔しい思いして稼いだ金なんて、ムカつくだけだろ?
そう挑発して、俺は財布から20ペソを取り出し机に置いた。
エスパダスは俺の顔をじっと見たあと、手を伸ばして金をポケットに入れた。
「おっさん、名前は?」
「俺はまだ若いよ!……ウーゴ・ラミレス。いずれ英雄になる男だぜ?」
「……覚えとく。んで、ちゃんとこの金返しに来る。だからくたばるなよ」
「だから俺はまだ若いんだよ!これでも23なの!」
「そうは見えねぇけど」
「うるせぇ!ほら、食い終わったならさっさと家に帰れ!ほらほら!」
空いた皿を片付けて、さっさと帰るよう促す。
エスパダスは小さく笑ったあと、椅子から降りて扉の前まで走っていく。
「俺がプロデビューするまで、ちゃんとプロでがんばれよ、おっさん!」
憎まれ口を叩いたあと、外に飛び出していった。
……プロデビューしてきやがったら、20ペソどころじゃ済まねぇよ。
いつかまた会えるといいけどな。
ありえもしない未来を少し描いて、俺は小さく笑った。
「20ペソに利子分つけて返しに来た」
……そんな未来がマジでありえちまったんだから、世界つーのは面白い。
「利子分、酒でも奢ってもらおうかな。お前も飲むだろ?」
「いや、飲まねぇよオッサン」
「俺はまだ33なの!オッサン言うんじゃねぇよ!ガキ!」
「うるせぇよ!オッサン!」
エスパダスの肩に腕を回し、誘うように引き寄せる。
ガキの頃に比べて随分、いい男になったと思うぜ。
でも、その負けん気の強さでちゃんとプロになったんだ、褒めてやるよ。
「……なぁ、エスパダス。今ならお前のこと、抱けるぜ?」
「はぁ!?」
「色気のねぇ声を出すなよ。幾らで抱かせてくれる?」
「ふ、ふざけんな!!」
もひとつ、ありえもしない未来を描いてみる。
そしてそれを叶えてみせる。
俺はそう心に誓ったと同時にエスパダスの肘鉄を食らった。