「この場合、寝たら元に戻るもんだろうか」
朝起きたらこうだったんだ、寝たら元に戻るのが常識ってもんだ。
人気のない場所で座り込んで、深く考えてみる。
寝て起きてまだ変わっていなかったら?
そんな事、恐怖でしかない。
俺はこっちの火野とどうこうするつもりはないし、正直気持ち悪いから嫌だ!
ため息をついて顔を上げれば、建物の壁に大きな鏡が立てかけられていたのが見えた。
「なんでこんなとこに鏡が……」
興味本位で鏡を覗いてみる。
そこには似合わない青色を纏った情けない俺が写って……いなかった。
赤いユニフォームを着て立ち尽くす、ちょっとだけ顔が違う俺がそこに居た。
「……え? は、はぁ!?」
鏡を何度も触り、何度もその顔を見つめてみる。
いや、だって、俺どう見ても青色の服着てるし。
目の前の赤いユニフォームを着た男も驚いた様子で鏡を触るが、すぐに顎に手を当てて悩みだした。
……コイツがまさか、こっちの火野が言う……俺?
いやいや、まさか。
俺のくせしてひどく冷静じゃん。普通にしてるじゃん。
鏡に写った男は、何故か持っていたペンとノートらしきものを取り出し、何かを書いて俺に見せた。
……文字反転して読めねぇんだけど!
まぁ、ニュアンスはわかるからいいか。
えーと、……なになに。
『お前は弓倉か?』
イエスだ。俺は大きくうなずく。
その男はページをめくり、また文字を書く。
『こっちからそっちに行く方法、分かるか?』
ノー。分かりゃあ苦労しない!
俺は大きく首を横に振る。
男は目を細め、睨むように俺を見てたかため息をついた。
そして、紙に文字を書いていく
「お……おまえ、あたまわるそうだな……!?」
書かれた文字をなんとか読んでみる。
思い切り悪口じゃねぇか!
鏡を叩き割りたかったけど、すんでで止めた。流石にまずい。
とりあえず、だ。この鏡が俺とこいつ、火野と『火野』をつなぐ気がする。
落ち着きを取り戻した俺は鏡越しに見える男に、聞こえないであろう言葉をかけてみる。
「俺んとこの火野、カッコいいだろ」
その唇の動きを奇っ怪な様子で見ていた男は、ページをめくり、文字を書き始めた。
そしてそれをグイ、と鏡に押し付ける。
『俺のところのリョーマもイカしてるぞ。馬鹿だけど』
伝わってるのも嫌だけど、お前んとこの火野はイカしてはない!
スゲー馬鹿そうだし!プレイはそこそこ良かったけど……とにかく頭悪そうだし!
少しの睨み合いのあと、なんだかおかしくて俺は吹き出した。
結局、お互いがお互いの『火野』が好きなんだって事なんだよな?
そう考えたらそりゃこうやって睨み合いになるよな。
鏡越しの『俺』は、紙の空いたスペースに文字を書き込んでいく。
そしてそれを鏡に貼り付けて、指差した。
『とにかく、戻る方法を探さないと』
その意見には同意。大きくうなずいて見せれば、どこか安堵した様子で鏡の向こうの俺は文字を書き足していく。
『触れてみても駄目みたいだし、どうするべきか』
実際、俺たちが鏡にベタベタ触っても漫画みたいに手が向こうに伸びたりはしなかった。
こういう場合、何かしらの出入り口になるもんじゃねぇの!?
マジありえねぇんだけど!
そう考えてるうちに、『俺』の後ろに見覚えのある黒髪がちらりと見えた。
…………後ろ、後ろ!!
適当に破いたメモ帳に書き込んでは鏡に押し付ける。
鏡越しに見える青い服の『俺』が、その言葉に怒ったり笑ったりとまるで子供のようにコロコロと表情を変える。
……正直、あれが俺と認めたくないんだけど。
まぁ、いいや。とにかく戻る方法を探すしかない。
少し薄汚れた鏡を指でなぞってみるものの、その指が向こうに繋がるわけもなく。
ため息混じりに書き込んだ紙を纏めて、くしゃりと握りしめる。
そうも簡単には行かないだろう展開に頭痛すら覚えたところで、不意に肩に手が置かれた。
「弓倉、こんなところで何……」
振り返れば、火野が俺の肩を掴んでいた。
言葉が途中で途切れて、そのまま視線が鏡に向かう。
そりゃあ、そうだ。鏡にはどう見ても違うものが映ってるんだし。
「……何だよ、これ」
冷静に言葉を漏らし、恐る恐る近づいていく火野を俺は止めることはできない。
向こうの俺もそれに気づいて、一気に鏡の前に近づいて、鏡に触れる。
なにか叫んでるような素振りを見せるが、もちろんこの鏡は言葉を通さないから聞こえはしない。
ただ、同じような顔をして喚かないでくれ。恥ずいから!
「これ、なんかの映像流すヤツか?」
不思議そうに眺めては、俺に問いかけてきた火野にどう答えたらいいか分からず、押しとどまる。
しばしの沈黙の後、火野が鏡に触れたとき、指がするりと鏡に埋まった。
「「「!?」」」
三人とも言葉を失う。
失うというより、笑うしかなかった。
ああ、そういう事ね。
俺は慌てて紙に文字をしたため、鏡に押し付けて、かわりに火野を鏡から引っ剥がした。
『リョーマ連れてこい!!』
その言葉を見た鏡越しの俺は、大きく頷いて走り出した。