俺たちに秋は来ない

俺たちの始まりは、まだ寒さが残る春のことだった。
柔らかな風がどこか甘さを孕み、俺の頬を撫でたのを覚えている。
木々の隙間から漏れる光を背に受けてアイツは現れた。
名前を火野竜馬という。
生意気そうに笑うアイツを、俺は少しばかり気に入っていた。
ムカつくほどに、イカしてやがる。
そんな笑いの中に沈む黒い影に対して、俺は少しばかり愛しさを覚えた。

何でかわからないが、俺たちはそれなりに気が合った。
気が合い過ぎて、そのまま転げ落ちるように恋仲になった。
馬鹿みたいだよな、と今更ながら思う。
春の暖かさが少し暑く感じるようになった頃に、俺たちは身体を重ね合わせた。
伸びる影さえもかき消すように、何度も肌を絡み合わせては、漏れる息すらも奪い合うように口づけを繰り返した。
愛の言葉が少しずつ口から溢れては、炎のように燃え上がる羞恥心に肩を震わせたこともあった。

「どうしようもなく、お前が欲しいと思うんだよ」

愛してるなんかよりキツいラブコールに、俺は少しの目眩を覚える。
それが夏の暑さからくるものなのか分からないまま、それを受け止めるように馬鹿と笑うのが好きだった。
明るい日差しを長く引き止める夏は少しずつ流れていった。

蝉の声がやたらと響くようになった夏の盛り、別れは来た。
アイツは故郷に帰るという。

まぁ、そりゃあ、そうか。

外はこんなに暑いのに、体が冷えていくような感覚に襲われる。
解っていたはずなのに、動揺している自分がいる。
だってさ、コイツが日本代表になるって言ったらそれはそれでおかしいもんな。
アイツの誇りはウルグアイにあってこそだから。
アイツが合宿所から旅立つときに、手を少しだけ握って黙ったまま見つめた。

多分これで、終わりだな。

そう直感したけれど、何も言えないまま俺は握った手をゆっくりと手放す。
アイツは目を少し細めてから、じゃあなと言葉をかけて背を向けた。
あっけない別れに、俺は視線を下に向ける。

俺たちに秋は来ない。
俺たちの繋がりは夏の中に置いていくように終わってしまった。

………と俺は思っていた。

「お前なんで普通にここにいるわけ」
「なんでって、会いに来たわけだけど?」

季節が何度か廻った後、リョーマは大荷物片手にココに来た。
てかその荷物の量、あからさまに旅行にしては多すぎるだろ!
俺の狭いアパートの1/5を埋めちまうんじゃねぇの。
怪しげに見つめていた俺に対して、照れくさそうに笑ってでかい荷物からなんかよくわからないお土産を差し出してきた。
とりあえず受け取ったけど、コイツなんでこんなにも馴れ馴れしいままなんだよ。
俺たちはもう終わったと思ってたのに。
俺の表情が変わらないことに違和感を覚えたのか、リョーマはそのまま俺との距離を縮めた。
久しぶりに見たリョーマの顔は随分大人びた気がしたし、鋭い瞳はあの頃と変わらないままの強さを秘めている。
ーーーコイツの眼が好きだ。
そう再び自覚したときには、唇が触れ合っていた。

「まずはこうやって、迎えてくれるもんじゃねぇの?」
「っ…………!」
「まさかとは思うけど、終わったと思ってたわけ?」

そうだよ、なんて今更言えやしない。
恐る恐る頷いてみれば、アイツは怒ったように再び唇を重ね合わせた。
今度は噛みつくような深いキス。
乱暴に舌が入ってきて、その勢いに押され床に倒れ込む。
被さるかたちで口づけを繰り返しては、漏れる息の音に懐かしさを覚える。
ああ、コイツは結局何も変わってないんだ。
そう思うと胸が熱くなって、無意識に両腕を伸ばしてリョーマの身体を包み込んだ。

「……好きだ」
「何を今更!お前、俺にべた惚れだろーが」
「ああ、そうだよ。べた惚れだ。だから、終わったんだと思ってた」
「バーカ。終わったなんて言ってないだろ?俺も、お前も」
「そうだったな」

遠距離上等。
お前が地球の裏側にいたってこうして噛み付いてやる。
そう笑うリョーマが、やっぱり好きだ。

「てか、なんで住所知ってるんだよ」
「おっさんからしつこく聞いた。駄目だったら他のやつから聞くつもりだったけど」
「いや、賀茂のおっさんしか知らねぇよ。他のやつとは外でしか会わないし」

緊急時を考えておっさんに教えててよかった、と今更ながら思う。
じゃなきゃこんな展開あり得なかったわけ……だし。
不意にリョーマが俺の頬を優しく撫でる。
そのまま頬をゆるく摘みながら俺に一つ問いかけた。

「じゃあ家にあげるのは俺が初めて?」

他人を、という意味であれば初めてだ。
友達なんていないし、家族だって主に電話でのやり取りだけだ。
だから一人分のモノしかこの家にはない。
シンプルで寂しい部屋、俺だけしか必要としない場所。
それが見てとれたからそう聞いてきたのだろう。

「そうだよ」
「んじゃ、日本に来るときはお前の家に泊まるから、荷物置いていっていいか?」
「人の家をホテルみたいに使うなよ」
「いいじゃねぇか。モノがあったほうが付き合ってる感出るだろう?」
「なんだよそれ」

俺は別れたら着払いで荷物送り返すけど?
なんて冗談を投げつけたあと、再びリョーマを強く抱きしめた。

食器と、歯ブラシと、生活用品と。
今から買いに行かねぇか。
ついでに小さな鍋も買って、飯も食おうぜ。

今日は狭い部屋で、ひっつきあって寝たい。
お前の故郷の話、また聞きたいんだ。

ぽつぽつと溢れるように漏れる言葉に、ゆっくりと頷いてくれる。
それがただただ嬉しい。

「好きだ、ずっと好きだった、今だって」
「本当に俺にベタ惚れだな、お前」
「うるせぇよ」

肌寒い空気の中、触れる暖かさに目を閉じてみる。
俺たちに秋は来なかったけれど、今は暖かな冬が始まろうとしている。

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