崩壊
「浜本真!お前の行為は本来であれば警察沙汰だ!訴えられても仕方ない行為なんだ!だが、それをチームメイトの温情でチーム追放までに留めてやっただけありがたいと思え!」
俺だけが悪いわけじゃない、そういった所で通用なんてしない。
俺の人生はいつもそうだった。
兄さんが居た頃は、兄さんがかばってくれたけど、その兄さんも、もういない。
心の中にいる兄さんに、俺はいつもしがみついてばかりで、そして今だって祈るように呟くことしか出来ない。
相手を思い切り殴った拳が痛む。
また、サッカーを失うのか、俺は。
皆と……立浪と掴み取ってきた栄光を、俺は失うのか。
肩が震える。頭が冷えていく。
けれども、過去はもう変えられない。
俺は寮へ戻り、荷物をまとめる準備を始めた。
そもそも、きっかけは相手がわざとぶつかってきたのが始まりだ。
GKである俺に対してとは思えない乱暴な行為、一度拳だって当たっている。
審判がその場面を見ていなかったせいで試合は続行したが、それを面白がってかもう一発殴ってきやがった。
俺は一気に怒りを爆発させ、少し乱暴にボールを取りに行った行為が違反とみなされた。
試合終了後、殴ってきたヤツをふっ飛ばしたのが運の尽き。
小競り合いなっていた所を監督たちに見つかり、俺はこうしてクビを言い渡された。
チームメイトが俺を庇ってくれたのは感謝してる、がそれでもどうにもならなかった。
……立浪に謝らないと。アイツにも迷惑をかけたし。
もしかしたら、アイツの事だ、俺の処分に抗議してるかもしれない。
くだらない期待だ。それでもいい。アイツなら、分かってくれるはずだ。
きっと分かってくれる。
片付けている荷物を放ったらかして、俺は立浪を探す事にした。
期待するな、と戒める自分とアイツならわかってくれると信じている自分がいる。
廊下を小走りで進み、角を曲がる。
視線を動かして見慣れた背中を探す。
また前へ進み、周りを見回す。
額に汗を滲ませながら、走り回ったが結局見つからず、部屋に戻ったところで立浪と鉢合わせた。
「たっ、立浪…!」
「浜本……」
立浪の表情は暗い。
そして、何よりどこか疲れているようにも見えた。
俺は一瞬、焦りを覚えて早口で話しかける。
「あ、その……。……ごめん、お前に迷惑かけて、しまった」
「…………」
返事はない。更に不安を覚える。
なぁ、立浪。お前なら分かってくれるよな?
俺だけが悪いんじゃないって、俺の事、わかってくれるよな?
焦りは不安になり、不安は恐怖に変わる。
汗が止まらない。立浪と目が合わない。
「手を出した俺も悪い。それは分かってる。でも、俺だけが悪いんじゃない……お前なら、分かってくれるよな?」
「……浜本」
「立浪、お前なら…っ……!!」
「浜本、今回はお前が悪いんだ。その結果がこれだ。……現実を見ろ」
「ぁ…………」
ピシリ、と何かが割れるような音が聞こえた気がした。
立浪の眼は冷たい。
完全に俺だけを悪者だと思ってる眼だ。
立浪と兄さんの姿がダブる。
『アントニオ、お前が全部悪いんだ』
『お前がそんなんだから、俺は死んだんだ』
『お前が全部悪いよ』
「あっ、ア、う、おれの、せい、で……?」
体が震える。
息がうまくできない。
兄さんが血まみれで笑っている。
汗が止まらない。
両手で耳を押さえる。
言わないで、それ以上は、言わないでくれ!
『お前が悪い』
「散々言ってきたが、暴力はいけない」
『お前が死ねばよかったんだ』
「お前も随分落ち着いてきたと思っていたんだが……」
『アントニオ、お前なんか要らない』
「お前が自分の非をちゃんと認めて謝罪すれば皆分かってくれるはずだ」
『誰も欲しがらないよ、お前なんか』
「とにかく、俺ももう一度チーム追放を取り下げるように頭を下げてくるから、お前も…」
『お前は要らないんだよ、アントニオ』
「浜本?……シン?どうした?シン?」
ピシリ、ピシリ、ピシリ。
何かが割れる音が何度も響く。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
「アアアアア、ッ、アアアア、アアアアアアアア!???!?あ、ッ、あ、アッ…あああッ!!」
「おい、どうしたんだ?シン!おい、大丈夫か?!」
「兄さん、にいさん、ごめんなさい、俺が悪いんだ、全部全部全部全部ッ……!!」
「落ち着け、大丈夫、大丈夫だから。深呼吸しろ、シン!」
「にいさん、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「シン、おい、シン……誰か、誰か来てくれっ……!」
「ごめんなさい……俺が悪い子だったから…だから…謝るから…見捨てないで、にいさん……」
壊れたラジオのように何かを呟き、泣きながら俺にしがみつく浜本に、俺は困惑していた。
長い髪を振り乱して、何度も俺を兄さんと呼ぶ浜本。
俺は抱きしめて、大丈夫と言葉をかけてやる事しか出来なかった。
「完全に壊れてしまってますな、これは」
「…………は?」
泣きながら気絶した浜本をベッドに寝かせ、医者を呼ぶ。
目を覚ました浜本を診察してもらったところ、精神に異常をきたしていると言われた。
俺は理解が追いつかず、半笑いで医者にもう一度問いかけてしまう。
「精神的に強いショックを受けてるようですな。少なくとも、もうマトモではない」
「だ、だって…、さっきまでは普通だったのに……」
「人間なんて、簡単に壊れてしまうもんです。この人の場合、心の拠り所を失ったショックが大きそうですな」
「そ、んな……」
サッカーを奪われてしまう恐怖が、浜本をここまで追い詰めたのか?
ぼんやりと窓を見つめる浜本に対して医者は特に何も言わず、部屋を出ていった。
俺も何も言えないまま浜本を見つめる他なかった。
不意に視線が絡みつく。浜本の目は仄暗い闇の色をしていた。
その色に引き込まれそうになり、恐怖から目をそらしたあたりで、浜本が声をかけてきた。
「……兄さん」
「は?…あ、えと…浜本には兄さんがいるのか?」
「なんの冗談だよ、兄さん。ミゲル兄さん。忘れたの?俺だよ、アントニオだよ?」
「俺は立浪誠!そしてお前は浜本真だ。俺はお前の兄さんじゃ……」
「兄さん、俺の事嫌いになったから、そんな嘘つくの?……ごめんなさい、もう、喧嘩はしないから…そんな酷いことを言わないで……」
完全に目の光を失った浜本は泣きながら俺の腕を掴む。
何度も兄さんと見知らぬ誰かを呼んでは、俺に甘えるように擦り寄ってくる。
戸惑い気味に背中に手を回してやれば、泣きながらも嬉しそうに強く抱きついてきた。
「出来の悪い弟でごめんなさい、兄さん。これからはいい子にするよ、だから…もう俺のことを見捨てないで……」
「……浜本……」
「いやだな、兄さん……アントニオって呼んでよ」
「……アントニオ」
「兄さん…!ああ、兄さん、やっぱり兄さんなんだ。兄さんはちゃんとここに居るんだね……」
無垢な子供のようだ。
純粋に俺を兄と慕い、素直な気持ちで甘えてきている。
浜本真の中から、立浪誠…つまり俺は消えてしまったという証明。
乱れた髪を少し直した浜本は、涙を乱暴に拭って笑顔を見せた
「あのね、兄さん…さっき殴ったのは、アイツが試合中に俺の事殴ってきたからなんだ。俺だけが悪いんじゃないんだ……」
「……そうか。でも、いつも言ってるだろ?暴力はいけないと…」
「うん、ごめんね兄さん。今度はちゃんと我慢するよ。…兄さんを困らせてしまうのは嫌だから…」
「…………」
子供のように言葉を紡いで甘えてくる。
汗が止まらない。心臓がバクバクする。
なぁ、浜本。お前が壊れたのは、俺のせい……?
結局俺は浜本と共にチームを抜ける事にした。
幸い、しばらく食っていける金はある。浜本を病院に入れることも考えたが、本人が俺と離れるのが嫌だと泣き叫ぶもんだから、それもうまく行かなかった。
二人で寮を出て、とりあえず落ち着ける場所を探す事にした。
いっその事海外でまたプレーするのもいいかもしれない。
少なくとも、俺はまだサッカーができる。
浜本は無邪気に笑いながら、俺の腕を掴んでゆっくりと歩く。
信号の近くになると、不安そうに俺の手をしっかり握り、何度も左右を確認してから歩き始める徹底ぶりだ。
「兄さんがもう二度と車に跳ね飛ばされないように俺が守るよ」
「兄さん……俺は交通事故にあったのか?」
「そうだよ、覚えてないの?兄さんはあの時車に跳ね飛ばされて、そして……」
「あっ、あ、ああ…思い出したよ。でもほら、もう平気だ。お前と一緒にサッカーが出来るぐらい元気だ!」
「アッ……あ、……ッ…あ、……うん、そう、だね……兄さん、元気になったもんね」
浜本の身体が震えていることに気づいて慌てて話を合わせれば、またいつもどおりの壊れたのは子供に戻る。
お前の兄さんは死んでいるんだな。そしてそれをお前は認めることができない。
そして、俺に兄さんを重ねて…そして……。
嫌悪感と罪悪感から汗が吹き出る。
それを見てか、不安そうにこちらを覗き込む浜本に気づいて、俺は慌てて汗を拭いた。
「……兄さん?」
「だっ、大丈夫……大丈夫だ。ほら、行こう」
「うん、行こう。兄さん」
心の中で、何かが崩れる音がする。
思考が暗く、ぐちゃぐちゃになっていく。
けれども、それを表に出すことは叶わない。
幸せそうに笑う浜本を連れて、とにかく遠くへ行こうと俺は考えていた。